北条氏政・氏照の墓
北条氏政は、北条4代の領主。氏照は、氏政の弟で、八王子城など5つの支城の城主でした。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めにより、小田原城が落城すると、5代領主氏直は、高野山に追放され、父氏政とその弟氏照は、城下の田村安斉邸(現南町)で自刃しました。 両人の遺体は、当時この地にあった北条氏の氏寺、伝心庵に埋葬されました(現在、永久寺所有)。 その後、放置されていた墓所は、稲葉氏が城主のとき(1633〜1685年)、北条氏追福のため整備されました。大正12年(1923年)の関東大震災で墓所が埋没する被害を受けましたが、翌年、地元の有志により復元されました。現墓所には、氏政・氏照および氏政の夫人といわれる墓がおかれていて、3基の五輪塔と墓碑1基があります。
幸せの鈴
ここには若者に隠れた人気の鈴があります。幸せの鈴と呼ばれています。墓所に置かれている2つの箱の中に、鈴が入っています。この鈴に願いをかけて持ち帰ります。願いがかなったら、この場所に返しに来ます。高校生や若者に人気のスポットです。
ここに眠る北条氏政、氏照は、長引く秀吉との攻防戦の中、戦渦にまみえる領民を思い、開城を決意されたと伝えられています。願いがかなったら、幸せの鈴を結びに来てください。幸せの鈴が一杯になれば、ここに眠る領主への、なによりの供養となるでしょう。