民衆碑

福田正夫が大正7年1月に詩誌「民衆」を創刊してから昭和2年ごろまでが、正夫が最も活躍し華やいだ時代だった。亡くなってから6年後、7回忌にあたる年に民衆碑を建設しようという話が井上康文と小田原の有志の間に持ち上がった。自由平明な表現をもって民衆の生活を歌った正夫の作品が詩壇に新風を与え民衆という言葉が社会全般に現れたことが石碑に刻まれている。
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