この地名は、小田原城絵図の一つである「延宝図」(1675年)に初めて見られます。地名の由来は、下幸田を含めて小田原北条氏時代(北条早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直の北条氏5代(1495~1590年))、北条氏の家臣幸田氏がこの地に居住したからといわれています。 上幸田は、はじめ上幸田町と呼ばれていましたが、江戸時代後期には、「町」の字を略して上幸田となりました。 南側の幸田門は、小田原北条氏時代には「四ッ門」といわれ、元禄10年(1697)に「幸田門」と改称されました。この地は、幸田門から北に走る道路の両側に開けた長方形の侍町で、隣の下幸田とともに幸田門を守る重要な位置にありました。
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